危機管理は日常の暮らしある

【そろそろ復活しよう】

実は、今年の2月に、
ある実験がきっかけで、
人生初の出来事が我が身に起こった。

傍で、息子が救急の連絡先に問い合わせをしている。

全身の力を込めて、闘うという事態になった経緯は、関係者もいる事からここでは避けることにする。

闘うということは、
健康で元気な身体を所持しているからこそできることで、

日頃の体力がなければ、
きっとこの状況は乗り切れず、
何かが起こっていたに違いない。

私は、

かなりの体力を保持していだのだとつくづく思う。

しかし、

それから丸2ヶ月以上、
私の体力は本調子には戻らなかった。

恒常的に私を守って共存していてくれたものが、全てを投げ売るかのように外からの侵入者と一緒になって出て行ってしまった。

そこから、
元の免疫群の環境に戻るには、そう簡単なことではないのだろうと簡単に想像ができる日々をしばらく送った。

4月も終わりに差し掛かる頃、
体調が完全に戻る事もないうちに、
次の環境ダメージが訪れた。

今度は精神的ダメージがさらに体調に影響を及ぼしてくる。

この経験は、
経験して見なければ分からない私の貴重なレポートになった。

直感は命を守る最大の能力である事。

60歳を過ぎても、
間違いを起こす。

いかに、経験値が少なく、
教科書の知識にとらわれてきたか。

信じる事ができるのは、

経験値と実績。

年配者の意味は、
本来そこにある。

私の場合、

伝統美養塾にまとめたテキストのおかげで、その回避策をとり難を逃れた。

それがない年寄りは、
このままだと、
存在の価値が全くないのと同じ。

年を重ねるとは、
どういう事か。

「ただ、

生きているだけでは意味がない。

寝たきりで生きる事はできても、

時代を自ら生き抜く事は難しい。」

これらは息子の小学校時代の担任の先生の口癖だった。

私も一緒に育てられた。

あれから、25年。

生き抜く

常にその言葉が、

耳から離れない。

教育には、

そういう気づきの影響力がある。

もちろん、

反対もあるから国の姿勢が今問われている。