和食の教養教育化

【和食卓を教養教育へ】

キレイな日本人プロジェクト、私達の活動のスローガン

このフレーズには、様々な意味が込められている。

実は、今(2023年の夏の事)道すがら、

小学生の男の子を道路際で待たせ、ハンバーガーをムシャムシャと頬張る30歳半ば程の美しい母親らしき女性とすれ違った。

私が育つ頃は、
少なくとも中学生くらいまでは、
歩きながら飲んだり食べたりという事は、家庭の躾としてあり得ない行いだった。

便利なおにぎりだって、
歩きながら食べるなどという事はなく、まさに手塩にかけた栄養的にも理に適った愛情食であり、手を合わせていただきますの習慣と共に食するものであった。

今でも、おそらくそう変わってはいまい。

和食には、
その食卓周辺に多くの意味がある。

家庭ごとの教育思想はもちろん、武士道の心持ちある日本人の気質はおそらくどこの家庭でも多く共通していたはずである。

1970年の万博以来、食べ物の種類、傾向、素材の多くが50年の間にすっかり変貌してしまった。

だから、

ウサギでもないのに生野菜からムシャムシャ食べるなどという、以前の日本の食事習慣にはなかった事が当たり前かのように言われる。

本質も理解しないまま、それが常識となっている事には言葉を発する気力もなくなった。

今年もオンライン我が家の梅干し作りでは、全国で2日間で400キロ。
3年目は見事に全国に広かった上、リピートの方は増量作戦にまで出てくれた。

一斉に作る体験会、貴重な座学とこの経験値はまさに暮らしの知恵は受け継がれるべき力となる。

◎座学に1時間みっちりかける梅干し作りなんて初めてという感想は、全て喜びと感動を示す内容だった。

※今まで横目で見ていた梅干し作りには、こんなに深い知恵と力のエネルギーが込められているのだと初めて知った。

※こんなに効能効果があるなら、来年も絶対作ります。

※梅干しの紫蘇にも驚くべき効果効能が秘められ、その旬の時期を同じくしているという自然界にも敬意を表す。

※嫌いだったけど、食べる事にします。

こんな言葉が語られた。

取り戻したい日本の悲鳴は、食習慣に留まらず、実はそこかしこで聞こえている。

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