清竹 清子
伝統美養塾 食卓和文化継承士
この度は10000人味噌づくりプロジェクト達成というゴールに私自身が今ここにいることに驚いている状態です。達成できたのは、みなさんが日々の出会いや少しずつの努力の積み重ねでこのように大きくて素敵なゴールにたどり着けたのだと思います。その素晴らしい場所に一緒にいることを心から感謝致します。
2015年に池田康子理事と食育のお話から繋がった偶然の出会いから始まりました。そして私が味噌づくりのワークショップを九重町でぜひ開催したいとお願いした際に毛利涼子代表も東京から九重町に来て下さったのです。開催翌日、町立小学校が栽培した青大豆を、温泉の地熱蒸気を利用して大豆を地獄蒸しする味噌づくりの取り組みをご紹介させて頂きました。そこにいらっしゃった農家さんが今現在、お借りしている畑の所有者というご縁に繋がりました。
大きな夢を抱いたとしても大分県九重町に住みながら食育、味噌づくりを伝えたい思いは私がどんなに頑張っても出来ることは目の前にいる方を大切に思い伝え続けて行くこだと思いました。こうして私が一緒に6年間九重町独自の地獄蒸し味噌つくりに取り組んで来られたことも、目の前にいて下さったみなさまとの出会いのおかげだと思い心から感謝しています。
そしてこの活動をこれからもずっと伝え続けていきたいと思います。日本で暮らしているのだから日本の食文化の素晴らしさを伝え続けたいと思っています。私にできることは今までもこれからも目の前にいる方に伝え続けていく小さなことしかできません。私はおばあちゃんっこでした。おばあちゃんと一緒に岩手県の一戸町という小さな町の家での暮らし、体験したことは今、大人になっても感覚としてしっかり残っていてこれは日本に残して伝えていかなくてはいけない大切なことだと心から思っています。今、私が食育事業として活動させて頂いていることは、かつておばあちゃんと畑に大豆を一粒ずつ植え秋には収穫し家のまわりでござを敷いて木製の道具で叩くと中から大豆がたくさん出て来るわくわく感は今でも鮮明に覚えています。
それが味噌になり料理に変身するのです。このようなわくわく感をこれからも伝え続ける人でありたいです。